メメント・モリ:いつかなくなるその日まで #キャリア的視点 555

こんにちは(^^) キャリアコンサルタントのひだです。今日のテーマは「命」です。

「命」と書くととても重めな話の印象だと思いますが、「キャリア≒人生」と謳っている身としては、「命」というのは正にキャリアそのものなのだとも思えてならないのです。
 今日、12/8は私にとって一つの転機になった日でもあります。

さぁそれでは、日常に潜むキャリアの種を感じていきましょう。読了時間は3~5分です。

メメント・モリ

とても個人的な話なのですが、本日12月8日は父の命日なんです。1986年、私が16歳で高校一年生の時に享年47歳で亡くなりました。35年前の話です。生きていれば81歳になります。
正直に言うと35年も前に亡くなっているため、今日の命日などの様な時でないとなかなか思いだすことも少なくなりました。たまに朝の身支度で鏡を見ていると、自分の顔をみて思い出すことがあるくらいです。正直言うと似ていないと思っているのに、ほんのちょっとした部分が似ているんですから不思議です。

その日以来、片親で育ち盛りの男三人兄弟を育ててくれた母には感謝です。やはり父親に限りませんが、家族が亡くなるというのは紛れもない転機なんですよね。

【メメント・モリ】と言う言葉があります。
ラテン語で「死を想え」「死を恐れるな」と言う言葉です。いわゆる死生観のひとつですが、人は生物である以上、いつかは死ぬ。それは事故だったり、病気だったり、戦争に巻き込まれる場合だってあります。いつかはくるものであるが故に、死を恐れずに、死を受け止める、という考え方です。
少し前に流行った「100日後に死ぬワニ」もそんな「いつか来る死」がテーマだったようにも感じました。

私自身、死生観なんて言葉は知らなくても、それでも何となく、16歳の経験から私は死生観を感じてきたように思います。

転機

転機といえば今だったら「クランボルツのプランドハプンスタンスセオリー(計画された偶発性理論)」や「シュロスバーグの4S(転機の乗り越え方)」ってすぐに出てくるのですが、当時高校生の私にはそんなことは知る由もなく… 詳しくは最近記事に下ばかりのこちらをご覧下さい^^;(※ちょうどひとつの記事の中で二人とも書いています)

日本のキャリア環境の遅れは、こうした一人ひとりの人生の中での選択に迷った瞬間に寄与できていないなぁと改めて感じてしまいます。

新型コロナウイルスという巨大な転機が世界を襲いました。

経済的に立ち行かなくなった企業の倒産で転職などの転機を被った家族がいます。
家族が感染し亡くなった事で転機を受けた家族がいます。経済的に困窮し、決まっていた大学への進学をあきらめざるを得なかった子達の話を聞きました。
もちろん実際に亡くなった方も大勢いらっしゃって、その一人ひとりにとっても転機でした。

私もまだ死にたくはありません。まだまだやりたくことはたくさんありますし、妻とも一緒に居たいし、息子たちの成長も愉しみだし、とても死んでいる場合ではありません。

いつか命なくなるその日まで、私たちは生き続けます。皆さんはこれからも立て続けに起こるだろう転機をどう乗り越えていきますか?

個人の活性化を組織の活性化に繋げます。

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