人と違うから愉しいのです

キャリア的視点441

こんにちは(^^) ひだです。今日のテーマは「多様性」です。

「十人十色」「千差万別」といった言葉が日本にはある様に、日本にも当たり前に多様性に関する意識はありました。しかし島国であったが故にか、世界規模で考えた時にはまだまだ甘いのかな、と思うこともしばしば。
忘れないでくださいね。『私』の隣にいる誰もが『私』とは異なる存在です。親も、夫妻も、最も近しいかも知れない兄弟姉妹も。
今日はそんな話です。

さぁそれでは、日常に潜むキャリアの種を感じていきましょう。読了時間は3~5分です。

『私』と同じ存在

皆さんはドラえもんやパーマンに出てくる「コピーロボット」って欲しくないですか? 鼻の頭のスイッチを押したら、押した人と全く同じ見た目・考え方・能力を持つ存在になるという、あのロボットです。

のび太くんがママにお使いや掃除を言われた時に使って、本物がサボろうとしたらコピーも同じ考えだから同じようにサボろうとして喧嘩になった。確かそんな話だったと思います。(違ったかな?)

なんらかの拍子に鼻のスイッチが押されてしまったらアウトというお茶目な機能もあたりも漫画ならではですね^^

私たちは忙しくて手が足りない状態になるとよく「ああ! 自分がもう一人いたら!」って思う事がある訳です。同じ考え、同じ能力なら作業も二倍のスピードでできる、とついつい考えてしまいますね。

実際に本当に『私』と全く同じ存在がいたらどうなんでしょうね?

『私』という個性

まぁまぁ当たり前のことなんですけど、『私』は他人とは別個の存在です。『私』と1から10まで全く同じという存在は、この世には誰一人として存在していません。これが個性でありユニークに尽きる『私』なのです。

前半を真っ向から否定する事になりますが、現代科学では「有り得ない」事です。あくまでも2021年6月現在における現代科学においては、という話ではありますが^^; 強いて言うなら「物心つく前の一卵性双生児なら」とは思ってしまいますが、その月齢では確認もまともにはできないですね^^;

これは推測に過ぎません。なぜなら現代科学ではあり得ず実証のしようがないからですが、本当に本当に『私』と全く同じ存在がいたらどうなんでしょうか。
きっと、ポジティブな環境にいる場合は作業もはかどるのでしょう。しかし逆にネガティブな環境では、先ほどののび太君の様に「サボりたい」のような場合には我先に自我の欲求を追求しようとしてケンカにまで成り兼ねません。

これは普段自分が「自分のこういうところが嫌い」って思っていることを誰かがやってしまった時に、嫌悪感を感じてしまうことに似ています。自分の嫌な面を他人に見てしまうことで、その相手を(少なくともその部分に関して)嫌いになってしまう現象です。この現象の正式名称は知りませんが、「同属嫌悪」と呼ぶように思います。

あなたの周りにはいませんか? 自分の嫌な部分と同じ部分を持つ相手は。これは「苦手」とは少し違う感情ですね。そしてそれは『私』だけが嫌悪しているものである可能性すらあります。正直、毎回毎回それでケンカになっていては話が進みません。相手もたまたま同じ特性を持つ人だというだけの話なのですから。

要するに「多様性(diversity:ダイバーシティ)」の話なのです。人は他人と違うから惹かれ合うのです。お互いに掛けている部分を補い合っているのです。
『私』と違う存在だからこそ尊いのだと感じます。

『私』にできるんだから簡単じゃん。
これは本人にはそのつもりがなくても相手に無用なプレッシャーを与えるだけです。『私』にできても相手にできるとは限らないし、その逆も然りです。

『私』とは違う存在である他人を当たり前に尊重できる社会を「みんな」で作っていきたいですよね^^

個人の活性化を組織の活性化に繋げます。

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