資格は自覚:資格を取ることで自分の中の何かが変わる

キャリア的視点520

こんにちは(^^) キャリアコンサルタントのひだです。今日のテーマは「自覚」です。

私達は成長に伴って「大人の自覚」を得る瞬間があったのだと思います。それはもちろん人それぞれです。お酒を飲めるようになった時? 高校生くらいの子を「子供だなあ」と感じた時? 人それぞれですね。そんな自覚について考えてみましょう。
そしてそれは勉強を重ねて資格を取った後にもある種の自覚が芽生えてくるのだと思います。それはどんな自覚なのでしょうか。

さぁそれでは、日常に潜むキャリアの種を感じていきましょう。読了時間は3~5分です。

資格の意義

皆さんも運転免許を始めとして数々の資格を持っていることと思います。それは国家資格もあれば民間資格もあるでしょう。社内資格という場合もあります。
それらを取得するためには、それぞれにそれなりの勉強という名の努力を重ねてきたと思います。

本来勉強というものは、資格試験に合格するしないに関わらず知識としてはある程度身に付いているはずです。私達はその資格試験に合格することで何が変わるのでしょうか。

つい先日の話ですが、この様な記事を投稿しています。資格を持っていることで認可的に「できる」ことと、実際にそれを滞りなく「できる」ことの違いを考察してきました。
今回は資格を取得することで「できる」様になるという事は、どの様な内面の変化を及ぼすのかを考えてみたいのです。

資格を取得する際にはいくつかの条件が付与されます。例えば自動車免許であれば「安全運転」が条件として義務付けられます。また「安全配慮義務」も同様です。

資格の意味

資格を取って変わる内面的な作用とは、それは「責任」を自覚することなのだと思うのです。

資格を取る事自体は勉強すれば、諦めなければいつかは取れます。資格を取ることが目的で、そこで終わってしまう方も多くいらっしゃいますが、仕事であれなんであれその先に進むのであれば有資格者に対する社会的な責任が付いて回るのです。

それを自覚できるか否か。

先ほどは自動車運転の例を挙げましたが、人は何故未だに「飲酒運転」をするのでしょうか? それは酒類が身体に入ることで脳が正常な判断を下せなくなってしまうからだと言われています。つまりは、普段だったら「自動車運転に伴う責任」を自覚している人が、お酒が入ることでその自覚が曖昧になってしまうのです。

残念ながら毎日の様にニュースを騒がせている事件のほとんどが、この社会的責任を自覚できていないのだな、と思います。今回は【資格を取得することで起こる自覚】として書いていますが、実際にには資格ではなく【コンプライアンスに対する自覚】として枠を広げてしまえば、ほとんどの方が該当してしまうのではないでしょうか。
資格取得という儀式は、その条件に記されている事柄に対して自覚を促すための免許なのだと思うのです。

私達は交通ルールを順守するという【義務】を果たすことで自動車を運転するという【権利】を行使できるのだと知っています。自分はそれを護ることができる人間なのだと自覚しているはずです。
たまにそれを自覚して遵守できないものが「飲酒運転」や「あおり運転」や「スマホながら運転」、「横断歩道の一時停止義務違反」、もちろん「法定速度違反」などを犯してしまうんですね。

世の中には数多くの資格があります。そのそれぞれにルールがあり、それを遵守することを自覚していきましょう。それで初めてその資格を意味を持って活きてくるように思うのです。

個人の活性化を組織の活性化に繋げます。

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