年齢を重ねるということは経験を重ねるということ #キャリア的視点 661

こんにちは(^^) キャリアコンサルタントのひだです。今日のテーマは「年齢」です。

どんなに嫌がっていても、毎年必ずやってくるのは誕生日。お陰様で、私も昨日52歳の誕生日を迎えることが出来ました。
と言っても私本人は50代であるという自覚に乏しく、心は今も40代前半くらいの感覚しかありません。鏡を見るとそこには50代のおっさんがいますが。誕生日を迎えてみて思う事ってどんなことなんでしょうね~

さぁそれでは、日常に潜むキャリアの種を感じていきましょう。読了時間は2~4分です。

年輪の如く

私が常々思っていることは、年齢というのは『年輪』なのだという事です。経年劣化、なんて言葉を聞くといかにも私たちは衰えて言っているように捉える方が多いと思うのですが、私はそれは違うのだと思うのです。

人はそれぞれに、毎日毎日新しい経験を重ねて生きています。その日々の充実感の違いから重なる皮の厚さは異なるのでしょうが、その本人すら気付かないレベルの小さな小さな経験が、1年という期間でまとめた時、年輪として感じることができるのだと思うのです。そして実際の樹木の年輪が南側の成長が大きく、北側の成長が少ない様に、私たちも個人の【やりたい(will)】、【できる(can)】、【やらねばならない(must)】が厚く、興味の向かない領域が育ちにくい、などという現象も感覚的に感じるのではないでしょうか?

確かに若木の間は成長も著しく感じられます。ある程度の成木になると、いかにも成長自体が止まってしまったかにも感じられますが、そんなことはありません。どんなに少しずつでも確実に成長しているのです。

自分はどう在りたいのか?

よく私は新入社員研修などの際に話すのです。
学生時代は土を耕し、就職活動という種まきの時期を終えて就社式で若葉を持ち上げた彼ら問います。

「どんな木に育ちたいですか?」

太い木。細い木。
高い木。低い木。
枝葉が茂った木。
まっすぐに伸びる木。
曲がりくねった木。
花や果実を多く実らせる木。

人それぞれに目標とする形は異なります。それでいい。そうでなくては。しかし共通するのは、一日ごとに、年ごとに確実に成長していってほしい。

それは50代に入った今でも同じことです。どんなに目尻の皺が深くなっても、それ以上の経験的な成長があるのであれば、私たちは愉しんでいけるのです。

個人の活性化を組織の活性化に繋げます。

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