[教育 × 主体性]第1回:学校の卒業で始まる教育 —「学び」の終止符が、停滞の始まり

経営者やリーダーの皆さんと対話をしていると、共通して漏れる「嘆き」があります。
「うちの社員は真面目だし、言われたことは完璧にやる。でも、一歩先を考えて動く主体性が足りないんだ……」
なぜ、現代の組織には「優秀な指示待ち人間」が溢れているのでしょうか。その根源を探っていくと、私たちが疑いもしなかった「教育」のあり方に、大きな落とし穴が隠されていることに気づかされます。

第1章 「卒業」という名の思考停止
私たちは子供の頃から、ひとつの強烈な「パラダイム(物事の捉え方や、当然だと思い込んでいる価値観)」を刷り込まれてきました。
それは「学校は勉強する場所であり、卒業はそこからの解放である」という考え方です。
試験のために知識を詰め込み、合格というゴールテープを切れば、そこですべてが完結する。
この「上がり(ゴール)」を目指す教育制度は、戦後の日本が工業化社会を爆速で駆け抜けるためには、極めて効率的なシステムでした。
決められた正解を、早く、正確にアウトプットする人材を量産すること。
その点において、これまでの日本の教育は大成功を収めたと言えるでしょう。
しかし、その成功の代償として、私たちはある副作用を抱えることになりました。
それが、卒業と同時に「自ら学ぶ」というスイッチをオフにしてしまう、大人たちの思考停止です。
本来、学生時代の卒業は、単なる区切り。意識の転換(パラダイムシフト)のタイミングであるはずが、多くの人にとって「学びの終着点」になってしまっているのです。

第2章 「乗り切る」だけでは立ち行かない時代の到来
かつては、一度身につけたスキルや知識の貯金を使いながら、定年までの現役生活を十分に乗り切ることができました。ビジネスモデルの変化が緩やかだった時代、経験こそが最大の武器であり、過去の成功法則を忠実に守ることが「正解」だったからです。
しかし、現代において知識やスキルの「消費期限」は驚くほど短くなっています。
数年前の常識が、今日は通用しない。
現にAIなどという技術は、10年前にはまだ一般に浸透していない状態でした。そのAIがたった数年で、私たちの生活を変えてしまうなんて、想像できていましたか?(私のブログの各画像もAIで作成してもらっています。)
何か困ったことがあるとAIで検索していませんか?
某プロ野球監督は、お子さんが「AIに相談」して逮捕され、監督業のみならずこれまでの輝かしい野球人生そのものを汚してしまいました。もともと逮捕されてしまうようなことを家庭内で行ってしまっていたことが、アウトなわけですが。
AIの技術を悪用してフェイク動画を大量に作らせ、恣意的にライバルを蹴散らし、支持者を騙してトップに立つ様な人まで現れました。
情報リテラシーの低い人から淘汰されてしまう恐ろしい時代です。
そんな激動の時代において、学びを止めることは「現状維持」ではなく、社会の変化に対する「相対的な退化」を意味します。
「教わったことだけを徹底的にやる」という姿勢は、かつては真面目さの証でした。
しかし現在、それは変化への適応を阻む組織のブレーキになりかねません。
学生時代の卒業は、社会人としてのスタートライン。また新しく社会人としての学びの時間が始まるのです。
その一歩を踏み出せない個人も組織も、時代の荒波を乗り切るための推進力を失ってしまうでしょう。

第3章 超一流たちが証明する「学びの真実」
ここで、同じ時代を生きる私たちの目を引きつける、ある若きリーダーたちの姿を思い浮かべてみてください。
大谷翔平選手。
藤井聡太棋士。
他にもたくさんいらっしゃいますが、彼らが20代という若さで、人類史上稀に見るような偉業を達成し続けているのはなぜでしょうか。
彼らが才能に恵まれていたこともあるのでしょうが、それ以上に決定的なのは、彼らは「学び」を卒業や義務として捉えていない様に感じます。
彼らは、目的や目標を誰かに与えられたものではなく、完全に「自分のもの」として取り込んでいます。
そして、在学中も、卒業後も、さらには頂点に立った後でさえ、自らを更新し続ける挑戦を一日たりとも欠かしていません。
学生時代の卒業は、社会人としての専門的学びへのステップであり、自らの可能性を拓くプロセスとして挑み続けているのです。
同じ時代に生きる私たちにだって、それぞれの活躍する会社で同じようなことが当たり前にできて良いと思いませんか?
「自ら動き出す力」は、誰かに教え込まれる受動的な知識ではなく、自らの意志で未知の領域へ手を伸ばし続ける「飽くなき探求心」の中から生まれるものです。
教育を「与えられるもの」から、本人が自律的に取りに行く環境を整えるものへと、私たちは捉え直す必要があります。
大谷選手・藤井棋士、そして自分で会社を立ち上げようと考えた社長たち。これらの共通点は、主体的に人生を歩もうとしているという点にあります。
全人口の中でも実は稀少な存在なのです。

第4章 教育の敗北は「指示待ち人間」の量産にある
「まじめで優秀、だけど自分で考えない」
そんな社員が生まれるのは、決して彼ら個人の責任だけではありません。
どちらかと言えば彼ら(私たちも含む)こそ、日本的教育の被害者なのかもしれません。
強いて犯人を作り出すとすれば、学びを「与えられるもの」として設計してしまった、戦後日本の社会構造そのものが招いた結果です。
しかし、「仕組みのせいだから仕方ない」と諦めていては、組織の未来は開けません。私たちは今、教育がもたらした「指示待ち」という殻を打ち破り、真の自律を促すための再定義を迫られています。
その鍵は、教育の「中身(スキル)」をただ増やすことではありません。
実は、多くの企業が社員教育をスタートさせる際、決定的な「前提の勘違い」を犯しているのです。
ヒントは意外なことに、経済産業省のホームページの中に見つけました。

次回は、その勘違いの正体——「社会人としてのOS(在り方)」が備わっているという思い込みが生む、組織の歪みについて掘り下げていきます。

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